駅長たまが愛されるのは当然の理由があった
素朴な三毛猫をスターに変えた和歌山電鐵
土屋 武之 :鉄道ジャーナリスト
東洋経済オンライン2015年07月05日
2006年4月1日に和歌山電鐵(案内上の表記は「わかやま電鉄」)が南海電鉄貴志川線の経営を受け継いだ、その同じ月の末。私も取材に訪れ、終点の貴志駅(貴志川町・現、紀の川市)で帰りの電車を待っていた。
すると、待合室のベンチに座る私のところへ、一匹の三毛猫がすり寄ってきて、何かして欲しげな目線でじーっと見つめ、にゃあと鳴いた。
エサとしてあげられそうなものを何も持っていなかったので、頭を撫でてあげたが、それで満足したのか、すぐどこかへ行ってしまった。ローカル駅を溜まり場、遊び場としているネコやイヌは、そう珍しいものでもない。
素朴なネコだった、たまこのネコが9年後、和歌山電鐵の「ウルトラ駅長・社長代理」となり、最後は社葬をもって、全国から集まった多くの人に見送られることになろうとは、夢にも思わなかった。日本一有名なネコと言っていいだろう。「たま」である。
「たま」は16歳という天寿(人間の年齢で言えば80歳以上)を全うし、2015年6月22日に亡くなった(死んだ、とは心情的に書きにくい)。葬儀は2015年6月28日に行われ、和歌山電鐵社長・小嶋光信氏が弔辞を読み上げ、和歌山県知事、和歌山市長、紀の川市長も弔辞を寄せた。
「たま」は、当たり前の話であるが「たかがネコ」である。もともとは貴志駅の売店の飼い猫だった。人なつっこく、物怖じしない性格であったが、全国に同じような三毛猫は数え切れないぐらいいるだろう。別表のように「駅長」から始まり、次々に「昇格」したのも、当然だけれど周囲の人々の思惑。駅長であれ社長代理であれ、鉄道会社の経営については、当の「たま」は与り知らぬことだ。ネコなのだから。
しかし、「されどネコ」なのである。駅長ネコ「たま」に会おうと、日本中はもとより、海外からも観光客が貴志駅に押し寄せてきたのだ。
右表には、貴志川線の定期券外客(観光客など、普通乗車券などを購入して乗車した客)と、貴志駅の乗降客数を、統計が公表されている範囲で添えている。
やはり駅長、さらにはスーパー駅長となった2007~2008年あたりで大きくその数字が延びている。「たま効果」がいちばん現れた時期であろう。
貴志川線はもともと、JR和歌山駅と貴志を結ぶ、和歌山市の郊外路線で、主な利用者は通勤通学客。全国的に著名な観光地が沿線にあるわけでもない。観光客とは無縁の鉄道であった。それを、「たま」が変えた。
和歌山電鐵と「たま」は抜群の知名度を誇るまでになり、「たま」が亡くなった時は、全ての国内の大手マスコミと、多くの海外の通信社が訃報を流した。「たま」の足跡、功績は、すでにさまざまなメディアが伝えているところである。
では、なぜ、「たま」はあれほどの人気を得たのだろうか。ここでは、それを考えてみたい。
「たま」が駅長に任命されたのは、2007年1月5日のこと。ネコを駅長にするという発想は、小嶋社長のものだ。駅長にネコを据えるというアイデアは、「たま」がパイオニアなのである。この点は特筆したい。
まるで和歌山電鐵の後を追いかけるかのように、全国に「動物駅長」が流行し、今もまだ続いているが、先駆者であるという実績、そしてその地位は揺るがない。斬新なアイデアは、最初に思いつき実行した者の勝ちだ。
エンターテインメントに徹した実際の駅長とは別に、いわば名誉駅長を任命してPRや観光案内にひと役買ってもらおうという試みは、国鉄末期からJR初期にかけての1980年代、いくつかの駅で地元の女性を「観光駅長」としたのが、早い例のうちの一つではないかと思う。「一日駅長」ならば、1952年の鉄道80周年記念行事の際に東京駅長となった内田百閒のように、昔から実例が多い。
ところが観光駅長、一日駅長は鉄道や駅に注目を集めることが主目的であって、本物の駅長の業務を行うわけではない。ならばネコでも務まる。むしろ、動物の方が前例がない分、注目は集まるだろう。ネコに親しみを感じる人は非常に多い。そんな発想が、小嶋社長の脳裏を駆けめぐったのではあるまいか。その慧眼には、敬意を表したい。
そしてそのアイデアを、これ以上ないぐらい真剣に実行したことも、他の類例との差だろう。
「これはしょせん遊びだよ」という姿勢が見え隠れするエンターテイメントは、観客にもその心持ちが伝わってしまい、成功しない。「どこまで真剣に遊べるか」が、成功の絶対条件とすら言える。観客は演者が真剣に遊ぶ様子を目の当たりにして初めて、自らの感情もそのエンターテイメントに移入させ、感動を覚える。この構図は、演劇であれ音楽であれ映画であれ、エンターテイメントであれば同じだ。
地元とのつながりが緊密であることも、「たま」の人気の理由の一つだ。
貴志川線は、巨額の赤字を理由に廃止案を提示した南海電鉄から、岡山電気軌道(岡山市内に路線を持つ市内電車で、小嶋氏が代表を務める両備グループの中核企業の一つ)が100%出資した和歌山電鐵へ移管された路線。鉄道用地は和歌山県からの補助金を元として、和歌山市と貴志川町が取得し、和歌山電鐵に無償で貸し付けている。さらに、施設改修費や欠損の補助なども行っている。
「たま」の社葬で、和歌山県知事、和歌山市長、紀の川市長が弔辞を寄せたことを思い出してほしい。貴志川線の永続という点においては、自治体は和歌山電鐵と一蓮托生の間柄だ。和歌山県は重々しく、「たま」に爵位を授け、神様にまで祭り上げた。ただの遊びではない、地域振興への切実な思いもまた、「たま」に託していたのである。
#「和歌山県勲功爵(わかやま で ナイト)」、「和歌山県観光招き大明神」
昇格という仕掛け「たま」の後に続いた各鉄道も、地元とのつながりは、おそらく負けず劣らずに違いない。しかし、ここまで真剣に、動物駅長を使ったエンターテイメントを展開したところはない。これこそが、他社の動物駅長が、「たま」ほどの幅広い人気を獲得できていない理由だと考える。
和歌山電鐵はさらに、「たま」を昇格させるという仕掛けを、ほぼ一年ごとに繰り返し、飽きさせないよう話題の提供を続けた。これも駅長という真面目な地位を与えた、最初のアイデアが秀逸だったことを物語っている。ネコ駅長ではなく、人間と同じ駅長である。会社内での昇進は、多くの会社員にとっては深い関心事だ。
昇格のタイミングもまた絶妙だった。
ネコの寿命は15年前後だ。母ネコも飼い猫だったゆえ1999年生まれが確実な「たま」は、2015年前後には、その生を終える可能性があった。ほぼ最終的な地位と言える社長代理となったのは、衰えが誰の目にもはっきりしはじめた2013年。冷酷な見方のようであるが、和歌山電鐵は社葬までの道筋は逆算しつつ、きちんとつけていたように思う。
もちろん、地元と和歌山電鐵が、「たま」に限りない愛着を持っていることには、誰も異論はなかろう。全国の「たま」ファンも同じだ。もはや「たま」は、地域と貴志川線のシンボルでもある。「たま電車」やネコを模した新しい貴志駅舎が、それを象徴している。
「たま」の死後、後を継いだのは、元は野良猫だった三毛猫の「ニタマ」である。すでに2012年には貴志駅長代行兼伊太祈曽駅長に任命されており、今は「たま」の後任として、主に貴志駅で「勤務」している。
映画でもパート1と比べて、パート2、パート3は観客動員、興業収入が落ちるものとされる(例外はあるが)。「ニタマ」も先代ほどの動員はできないかもしれないが、もはや和歌山電鐵とネコは切っても切れない縁で結ばれている。「ネコの電車」という確立されたブランドイメージは、これからも貴志川線を支えるに違いない。
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